1958年生まれ、東京都出身の秋元さん。高校2年生のときに放送作家としてデビュー。その後、さまざまなラジオ、テレビ番組を担当。とんねるずのブレーンとしても注目を集めました。また、作詞家としては、稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」、長渕剛さんの「GOOD‐BYE青春」のヒットに始まり、おニャン子クラブなどのアイドル曲を手掛け、30歳のときに美空ひばりさんの「川の流れのように」を作詞しました。2005年には、アイドルグループ・AKB48を発足させ、総合プロデューサーとして活躍。その後もアイドルグループを次々と立ち上げ、世間にアイドルブームを巻き起こします。
川島:これまで歌い直しをされたことがない美空ひばりさんに、秋元先生が歌い直しをお願いしたとお聞きしました。
秋元:レコーディングを何回かやっていくなかで「このテイクはいいですね」とか「ここはもう一度いきましょうか」とか言ったことはありますけども、「こういうふうに歌ってみましょうか」っていうのはないです。 当時のレコーディングは、歌のうまい人でも1曲で4、5時間はかかっていたと思うんですよ。ところがひばりさんは、2週間前に「10曲全部ください」と依頼がありまして。
川島:ほう!
秋元:レコーディングの当日に(歌詞を)FAXで送る形が多かったんですけど、ひばりさんにそう言われて「これは失敗できないな」と思い、10曲そろえてお渡ししました。あれだけ歌のうまい方が、2週間のあいだずっと練習をしているんですよ。
川島:仕上げてくるんですね。
秋元:そこからレコーディングに入るので、ファーストテイクから完璧なんですよ。
川島:だから歌い直しがないんですね!
秋元:そうそう。ひばりさんから学んだことがあります。たとえば、僕らは誰かが5分遅刻してきても「大丈夫」って言うじゃないですか。それって、自分も5分遅れることがあるから人を責めないってことでしょう?
川島:持ちつ持たれつ、っていうことですよね。
秋元:でも、ひばりさんは絶対に許さないんですよ。
川島:ひばりさんが絶対に遅刻しないから?
秋元:そう。自分を追い込むんです。
川島:なるほど。
秋元:あれだけの人が10曲を完璧にしてレコーディングに来るから、誰もミスができないわけですよ。プロっていうのは、“なあなあにしない”っていうことを学びました。東京ドームで(1988年に)コンサート「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」をやったときは40曲を歌われたんですけど、歌詞を1ヵ所も間違えなかったんですって。
川島:はぁ~!
秋元:常に完璧な人だと、周りもピリピリして誰もミスできない。そこまで追い込むんだけど、人に厳しいのではなくて、自分に厳しいんですよね。すごいと思います。
川島:先生から見て、そういう方ってひばりさんだけですか?
秋元:そうですね。僕は一番ひばりさんに衝撃を受けましたね。
川島:「これがプロだ」と。
秋元:うん。ひばりさんがレコーディングのときに、「川の流れのように」がいい詞だと言ってくれたんです。「人生っていうのは、たしかに曲がりくねっていたり真っすぐだったり、流れが速かったり遅かったり、川の流れみたいなものなのよ。みんなそれぞれに川があるのよ」とおっしゃって、「だけどね秋元さん、最後はみんな同じ海に進むのよ」とおっしゃったんですよ。 そのときの僕は深い意味に捉えなかったんですけど、それから亡くなってしまうんですね。今思えば、自分の人生を振り返ったときに、川の流れのように終わりたいと思われていたのかなと。
川島:すごい曲になったわけですね。 (TOKYO FM「SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~」放送より)
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